(1) 明治期の約定書
明治時代の民間建築工事にどのような契約書が使われていたのか定かではありませんが、1887 (明治20)年につくられた「英吉利法律学校新築約定書」が有名です。英吉利法律学校(現在の中央大学)当局と請負人清水満之助の建築工事約定のために、この工事の建築師(設計者・監督技師) であった辰野金吾らが英国王立建築家協會(RIBA) の約款を参考にしながら日本の実情を考慮して協議、作成した請負契約書だとされています。また、お雇い外国人建築家が個人邸宅や民間建築工事のためにつくった約定書や仕様書があったことも知られています。これらは設計者で監督をつとめた建築家(造家師、建築師、建築技師、建築士などとも呼ばれました)が主導して特定の建築工事のために個別に作成した約定書でした。まだ民法が制定される前の時期でしたが、当時の官庁工事の「請負人心得書」などとはかなり異質で、ある意味で近代的なものだったように思われます。
(2) 請負契約書の雛形の出現
その後出版された本のなかに「甲某学校建築請負契約書」や「家屋建築請負契約書」という請負契約書が見られます(「法律立案雛形集」、「現行活用契約証書大全」)。第三者としての建築師は登場せず、もとは煉瓦造2階建家屋1 棟の工事のためのものだったと思われる言葉が本文条項に残っていますが、工事の疎漏より生ずる毀損破滅等の無償修繕の期間( 2020 (令和2) 年4月1日改正前民法の瑕疵担保責任期間、改正後民法の契約不適合責任期間)を5ケ年間としています。
これらは完全に不特定工事向きとはいえないまでも、雛形であることを意図しており、その意味では今日いう約款に一歩近づいたものだといえましょう。また、この両者とも「請負」ということば、「契約書」ということばを使って請負契約書という名称に変えている点も大いに注目されます。
(3) 民法の制定
現行民法は1898 (明治31) 年に施行され、その第三編債権の第632条~第642条に請負契約が規定されましたが、この11箇条のうちの7箇条が瑕疵担保に関する規定でした。また、請負といっても靴や着物をあつらえる製作注文など広い範囲の請負を対象とした条項が基本になっています。たしかに建築物などの土地の工作物については別個に規定をする条項やただし書きもありますが、建築物は一般に工期が長く、金額が大きく、詳細な図面・仕様書によって注文や指図の内容を示す必要があり、それらの変更が常に生じ、天災などの危険負担のルールが重要な、きわめて複雑な請負契約であるため、民法の規定だけでは不十分でした。民法の規定や精神を踏まえつつも、より具体的で詳細な条項をそなえた契約書や請負規程が必要とされました。これを特定の工事物件ごとに作るのではなく、多くの建築工事に共通して使える標準的なもの、つまり今日いうところの「約款」の形を求める機運が生まれてきました。
(4)標準的な請負規程の作成へ
ここに建築学會( 現、日本建築学会) や建築業協會、さらには日本建築士會( 現、日本建築家協會) などがかかわってきました。明治末期から大正初期のことです。まず建築学會では、『1909 (明治42) 年11月8日の役員會では建築請負契約書案の作成企画せられ、翌1910 (明治43)年1月の通常総會で可決するに及んで直ちに24名の委員を挙げ、委員會中村達太郎君及特別委員5名で数回の協議を為し、其後委員會役員會等に於て審議の上1911(明治44)年1月の通常総會で決定を見ている』と「建築学會五十年略史」にあります。そして、特別委員會などの審議を経た建築請負規程案が1911(明治44)年1月31日の総會に上程され、一部字句の修正を残して承認されました。
この1911(明治44)年に建築学會が公表した建築請負契約書(全5条)並びに工事請負規程(全34条)は、担保や修補の条項には現行民法の請負の条文が使われていました。
(5) 四會聯合協定の出発
この規程を検討した当時の建築業協會の横河民輔らは、その内容が建築師(監督技師)や注文主の権限が強く、施工者である請負人の権利が弱いとみなして、その翌年から独自の検討、調査に取り組み、1914(大正3) 年に建築請負契約書(全3箇条)、工事請負規程(全39箇条)を公表しました。この全文は建築学會の建築雑誌にも作成趣旨と、ともに掲載され、学會はいずれ論評したいとしました。
しかし、この両案の対抗状態がつづくこととなり、これでは両案とも一団体を超えた社会的認知を得たことにならず、十分な使用普及ができないままでした。
1922(大正11) 年にいたって日本建築士會( 現在の日本建築家協会につながる当時の建築士職能団体)が聯合調査を提案しました。この提案を受けて、この3団体に関西の日本建築協會を加えた四会で聯合調査を開始し、翌1923(大正12)年に契約書と建築工事請負規程34箇条がそれぞれの団体の承認を経て決定されました。これが、四會聯合協定による工事請負規程の始まりとなりました。
(6) 四会連合協定 工事請負契約約款の制定へ
戦後、1948(昭和23) 年に建設省が設置され、翌1949(昭和24) 年に建設業法が、1950(昭和25)年には、建築基準法、建築士法が制定され、建築工事の契約にもさまざまな影響を与えました。建設業法は、請負契約の適正化を図ることを大きな柱として関連するさまざまな規定を設けており、とくに第3章建設工事の請負契約、その第19条で請負契約の当事者(建設業者と発注者) が同法に掲げる重要な事項を、それぞれ詳細かつ具体的に書面に記載し、これを相互交付することを義務づけました。また、建築基準法によって一定規模以上の建築工事には建築士資格を持つ工事監理者を定めることが建築主に義務づけられ、建築士法で工事監理者の業務内容が定められましたが、こうした内容は、当約款の監理技師(現在の監理者)の業務にも含まれることになりました。
建設業法によって建設省(現在は国土交通省)に設置された中央建設業審議会は、公共工事用の建設工事標準請負契約約款を1950(昭和25)年に制定しましたが、これとは別に、「民間工事標準請負契約約款(甲)、(乙)」を1951(昭和26)年 に決定し採用を勧告しました。
この改正(決定)で、四会連合協定の工事請負規程から四会連合協定 工事請負契約約款という名称に変わったわけです。その後、2025(令和7)年まで15回の改正が行われています。
